西堀 栄三郎

- 石橋を叩けば渡れない -

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掲載の本

石橋を叩けば渡れない 生産性出版

著者紹介

1903年京都府に生まれ。1928年京都大学理学部卒業後、京大講師、助教授を経て民間企業(東芝)に移り真空管を発明した天才技術者。統計的品質管理手法を日本の産業界に持ち込んだ人物として知られる。後のQCサークルである。今西錦司、桑原武夫ら京都グループ主要メンバーの一人。日本山岳協会会長も務め、日本初の8000m級登山である「マナスル登山」の際、ネパール政府との交渉役も務めた。昭和55年チョモランマ登山隊総隊長を努める。

「雪山賛歌」の作詞者でもある。探検家のカリスマ的存在であった。京大の教授となった翌年の1957年2月15日から翌年2月24日にかけて行われた、第一次南極越冬隊の隊長を務めた。その後、原研理事などを務めたが1990年に死去。主な著書に『品質管理実践法』『南極越冬記』『西堀流新製品開発』『品質管理心得帳』『想像力』『五分の虫にも一寸の魂』などがある。

本の概要

西堀栄三郎氏は、日本が初めて計画した第1次南極越冬隊の隊長でした。本書はその時の探検の経験を中心に、「創造性の開発」をテーマにした西堀氏の講演の記録です。 未知の南極探検に挑戦した体験や、新しい取り組みに対する心構え、部下の能力を伸ばす方法などを説いています。また、毎日を創造的に生きるためのコツを挙げ、組織の中で創造性を開発するために不可欠なチームワークについても語っています。

創造とは新しいことに挑戦すること。“石橋を叩けば渡れない”というのは、科学者として、また探険家としての氏の人生観に根ざした言葉であることがわかります。 1972年に発行されて以来今日まで、多くの人に読み継がれている名書です。 これは西堀流創造的生き方のお話しです。

若い頃の夢はいつか実現する

「私が十一歳の時、いつかチャンスがあったら南極へ行ってみたいなぁ、という気持ちを持っていました。こうした志というか、願いというか、夢というか、そういうものを持っていると、いつか実現の道が開けてきます。人間は生きていくうちに、必ず分かれ道に行き当たるものですが、その時、夢とか志があると、ついそっちの方を選び、チャンスをつかむことになるのです。

私が、アメリカに留学していた時、土曜、日曜の休日に何をして過ごそうかと考え、「そうだ、南極へ行ったことのある人を訪問してやろう」と思いつきました。私が十一歳で志を立ててから、四十年ぶりかで、南極の話しがパッと出てきました。もうその時は、私は五十三歳になっていました。とにかく、強い願いを持ち続けていれば、降って湧いたようにチャンスがやってくるものです。その時、取り越し苦労などしないで、躊躇なく勇敢に実行を決意することです。

人間は経験を積むために生まれてきたんや

人間は経験を積むために生まれてきたんや。だから、どんな辛いことであっても、それが自分の経験になると思ったら、貪欲にやってみるのです。どんなに人の嫌がる事でも、この考え方で行けば率先してやれるのです。戦地の中国で北から南まで歩き続けなければならない事態が起きた。テクテクと歩き続けた。靴は破れ、足から血が出ることがあっても、「これは経験を積むために生まれてきたんやろから」と思っていれば、結構楽しかった。

石橋を叩けば渡れない

何か新しいことをする時には、まずそれを、やるかやらないかを決めることが必要になってきます。新しいことには、リスク(危険)があるに決まっています。リスクというのは、危険ということだけでなく、うまくいかないというリスク、不成功というリスクも入っています。そこで、やるかやらないかを決心する前に十分調査しておかないからリスクがあるんだ、あるいは失敗があるんだ、という考え方です。

しかし私は、そんな考え方では到底新しいことは出来ないと思います。やるかやらないかを決心する前に、こまごまと調査すればするほど、やめておいた方がいいじゃなかという事になる。"石橋を叩いて渡る"とか"渡らん"とかいうけれども、石橋を完全に叩いてから渡るか渡らんか決心しようなんて思っていたら、おそらく永久に石橋は渡らんことになるだろうと思います。やると決めて、どうしたらできるかを調査せよ。

リスクを減らす秘訣(臨機応変の処置)

完全無欠な準備や計画はありえない
リスクを減らすためには、準備計画を綿密に立てなければならないのですが、一体準備とか調査というものは、そんなに完全に出来るのでしょうか?私に言わせれば、完全な準備と言うものは絶対に出来ない、としか言いようがありません。なぜかというと、これからやることは、知らない新しいことですから、必ず思いもよらないことが起きるに決まっています。それがリスクの元なのです。

ところが、準備とか計画というものは、思いもよっているものしか出来はしないのです。したがって、思いもよらないことに対する処置というのはあらかじめ出来ていない。怖いのは、それが完全無欠であると思っている心です。計画を実行に移してから、思いもよらないことが出てきたとき、一体どうしたらいいのか。ただひとつ、臨機応変の処置をとるほかないのです。

リスクを減らす秘訣(臨機応変の処置)
リスクを最小限に減らすためには、全ての人間は沈着でないといけないわけです。沈着になれるということは、あわてふためかないということです。あわてふためかないということが沈着ということです。心が平静だと、ちゃんといい処置が出来ます。人間、心が平静でありさえすれば、どうすればいいかということが自動的に心に浮かんできます。

逆に言えば、浮かんでこないということは、心のどこかであわてふためいているからです。それでは、あわてふためかないようにするには、どういうことが必要かというと、「思いもよらないことが必ず起きるぞ」ということを、覚悟していることです。その覚悟はどこから来るかというと、「準備というものは必ず不完全なものなり」と思っていることです。

つまり、準備が完全だと思っていると、覚悟はあまりしていないわけですから、それで思いもよらない事態がヒョット出てくると、「あっ、どうしよう」と思って慌てふためく。そしていい処置ができないでモタモタしているうちに、リスクはどんどん深く大きなものになって、どうにも手のつけようがないようになってしまう。ですから、まず、準備は不完全なものなりと感じることが大事なのです。リスクを覚悟していますと、「ウン、予定のごとく出てきたなあ」という気持ちがありますから心は非常に安定しているわけです。

「世界一の雪上車だ、しかし必ず故障は起きるぞ」 いくらいい機械でも必ず故障が起きると思っていることは大切です。そのように覚悟をしていれば、本当に故障が起こったとしても心は平静です。心が平静ならば、必ず適切な対応が出来ます。この機械は絶対に故障は起こらない、と勝手に決めていると、思いも寄らない事故が起きたときに、それこそあわてふためいてうろうろするばかり。かえって大事故に発展してしまいかねません。

新しいことをする人は、必ず楽観的なものがないと駄目です。いわゆる取り越し苦労ばかりしていたら、決して新しいことは出来るものではありません。臨機応変の処置が出来るという自信を作っておくことが大事です。それには、沈着でありさえすればそれでよいのです。

創意工夫するためには?

●創意工夫するためには…
まず第一に、「こんなことも出来ないのか!」と思わなくては駄目です。うぬぼれであっても何でも構いません。うぬぼれと自信は同じものです。それを、ヤレうぬぼれはダメだ、自信でないといかん、といっているから、どっちがどっちだか分からなくなって、力が出ない。何でもいいから、俺は創意工夫でやるんだ!と思わなければいけない、ということです。第一回目の南極越冬が成功したということは、創意工夫がそれを成功させたということです。

二に、絶対諦めたらいかん、何とかなる、何とかしてやるぞ、と思うことです。『私は絶対諦めない!何とか創意工夫で乗り切ってみせるぞ!』という気持ちが大切なのです。諦めたらもういけない。できる、と思ったら「できる」のです。何事も前向きに考え、実行すること、これしかないのです。

西堀流の自由とは?
「自由というものは、まず人の自由を尊重すること、人の自由を尊重できないようなものには、自分の自由は与えられん。だから、昭和基地では、一切、酒を人についてでは相ならん」これが、昭和基地の憲法第一条です。人に酒をつぐ、ということは、人の自由を妨げることで、飲みたくない酒を「まぁ飲め、いいから飲め」といわれるほど、困ることはない。だから、もう一切人に酒をついでは相ならん、と言ったわけです。そのかわり、自分で手酌で飲むんなら、なんぼ飲んでもよろしい…というわけです。そして、一年間、酒のトラブルというのはひとつも起こりませんでした。これは、"自由"のひとつの象徴です。

他人の個性は変えられない

珍なヤツばかりを上手くまとめるためには?
珍なヤツはやはり一癖ありますから、一筋縄ではいきません。軍隊式に押さえようなんてしても、とても無理です。なかなか難しい。どうしたらいいだろう。「それは簡単です、象には象なりに、虎には虎なりに個性を持っている。だから、象は象なりに、虎は虎なりに、やらせたらいいんです」つまり、相手の長所を活かすことに専念せよ、ということです。

他人の個性は変えることができない
世の中には、よく自分の部下というものを、欠点だらけで長所なんかない、という人がいます。私は、それはいけないと思います。人は必ず自分の型というものを持っている。あるいは理想像というものを描いている。その目で相手を見るから全部欠点に見えるのだというのです。そのように見ないためにはどうしたら良いか?他人の個性は変えることは出来ないと諦めることです。第一に個性というものは、自分では、変えられるかもしれないけれども、他の人では決して変えられないものだと諦めることです。つまり、もとの個性というものは変えられないのですから、そのままにしておいて、その代わり短所になって現れている現れ方だけを、長所に振り返るようにするしかないのです。

例えば、私の隊にあわて者がいたとします。「バカやろう、お前はなんてあわて者じゃ」、と言いたい時があるわけです。ところが、欠点と見られている「あわて者」ということも、もとを正せば、その人は物事を早くやりたいという、性質があるわけです。だからそれをいい方に振り替えて、「君はなかなか機敏だね」とこう言うのです。「君はなかなか機敏だなぁ、だから失敗しないようにやれば、なおいいだけどなぁ」こう言っておけばそれで良いのです。個性を殺していないわけです。欠点を直すと個性まで殺してしまいますから、個性の表れ方だけを直したら良いのです。個性は治せないのですから、個性を活かそうと思う。個性尊重ということは、個性は変えられぬと思うことから始まるのです。

個性は変えられないが、変えられるものがある
個性は変えられないが、変えられるものがある。それは何かというと、能力です。能力というものは変えられる。これは後からついてきた、すなわち後天的な性格のものですから。従来は、「能力は変えられないが、個性は変えられる」、などと考えられていました。この考えは明らかに間違っています。

私は仲人をしたことがありますが、その新郎に、「君の奥さんの個性は変えられないよ。しかし能力はいくらでも変えられるよ」と言ったことがありますが、その男は後になって非常に感謝されております。結婚した時は、うちの女房は良い性格だと思っているけれども、そのうち「けしからん!もっと性格を変えてやろう!」と思う。性格が良くて結婚したんじゃないか、それを今さら変えるとは何事だ!能力はいくらでも変えられるけれども、性格は変えられないと思わなければいけないのです。意欲さえ出たら能力はいくらでも増やすことが出来るのだ、という確信を私は持っています。

繰り返し言いますけど、まず個性は尊重する。これは変えられないものだから、ありのままの個性をいい方にいい方に読みかえる以外にない。と同時に、その人の能力を高めるために、その人の意欲をますます燃やさせる必要があるということです。

人を育てる 創造性を育てる

教育とは暗示学である
暗示学の基本は、否定語を使わないことです。全部肯定語でやるわけです。これが秘訣です。女房なんかが子供を叱るのを見ていると、落第もはなはだしい。否定語ばかり使い、「ダメじゃないの」といって叱っているのです。「ダメ」というのはもちろん否定語です。「ダメじゃないの、もっと勉強しなければ偉い人になれませんよ!」みんな否定語が続いている。これでは子供はむしろ反撃に出て、誰が偉くなるもんか!という事になります。それではどうすれば良いかといえば、否定後を使わなければいいのです。子供の場合でしたら「お前は偉い人になれるぞっ!」と言うのです。暗示というものは、必ず成功の可能性を断定することが必要です。

働きたい、考えたい、喜ばれたい
人間と牛や馬、つまり獣とどこが違うかといったら、人間は考えることができる、つまり、人間には創造性がある、ということです。この創造性という事の為に、人間というものは楽しくやろうとしているわけです。それを、上役だけが人間で、下役は牛か馬だから、お前達は何も考えなくていいのだ、俺の言うとおりにすればいいのだ、というふうにもしやったとするならば、下役はこの創造性のはけ口をどこかに探すに決まっています。それがレジャーであったり、あるいは娯楽であったりするわけです。動きたい、働きたい、考えたい、創造性を発揮しながら楽しく仕事をしたい。これが、牛や馬とは違う、人間的欲求です。それと、人間の社会性からくる、"喜ばれたい" "感謝されたい"、というのも本性です。人間性はこういうところにあります。これを生かしてやれば、意欲というものは益々強くなっていきます。

人間性の再認識
もし、会社の経営に、人間性をいささかでも無視するようなポリシーがとられるならば、その会社はまもなく潰れるでしょう。人間性とは創造性を発揮することです。

創造性
人間的欲求不満には、いろいろ問題がありますが、その中で最も大事なものは「創造性」を発揮できないという不満です。この創造性というものは、大昔から人間の本能として存在していたものです。言い方をかえれば、人間には「創造性」があり、動物にはそれがないという特徴です。

虎穴に入らずんば虎児を得ず
従来の教育には、「教」はあっても「育」がありません。育てるということは、「成功」の味をしめさせ、「失敗」に学ばせることです。育てるということは「調子に乗らせて」いやがうえにも、意欲を高め、それによって能力を増大することです。育てる心を支えるものは、「君子危うきに近寄らず」ではなく、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」の哲学なのです。

ポジティブ・フィードバック
フィードバックは「結果」に学ぶことであり、結果には失敗と成功とがある。失敗したら次の時からは失敗しないようにと失敗に充分教えられ、成功したら益々成功するようにポジティブ・フィードバックをかける。失敗を恐れていると成功の味をあじわうことは出来ないのです。創造性開発に必要な条件として、「成功の味をしめさせ、調子に乗せること」が大切なのです。

目的は絶対であり、手段は自由(創造性の発揮)
仕事をするには、自主的な力がなければならない。あるいは自発的なものでなければならない。「目的」と「手段」を区別して考えること。仕事の目的は責任者である隊長(上司)が与えるが、手段については各自に任せる(自由にさせる)。それが部下の創造性を発揮させ、意欲を掻き立てるのである。そこに責任感が生まれる。決して「人が人を使う」のではなく、その人の創造性のエネルギーを湧かすように刺激する事が大切である。

私は、南極越冬隊長として、南極越冬という道の仕事をやっていくのに、どういうふうにしたかといいますと、まず第一に仕事の目的をはっきり一人一人の隊員に与えました。そのかわり、その目的をどういうふうにやるかということは、その人の責任においてやってもらうことにしたのです。

たとえば、電気を起こすのは発電係で、発電係は電気さえ起こしたら良いのです。それが仕事の目的です。その方法はどんな方法でやっても構わない。だから私は「君の仕事の目的は電気を起こすことだぞ、そのかわりその方法は君の好きなようにやれよ、忍術でやっても構わないぜ」と言っておきました。

そうしますと、「隊長がこうせよとおっしゃったでしょう。ああせよとおっしゃったでしょう」といういい訳が出来ません。「油がありませんから電気が起こせません」「何も油で電気を起こせとは言っておるまい。忍術でもいいのだぞ」という事になります。「機械が故障して動きません」「そんなことわしの知ったことか。忍術でもいいのだぞ」けれども実際は忍術で電気が起こらないことぐらい彼らは馬鹿ではないから知っています。知っているからこそ、何か道具がないかなぁ、あ、発電機がある。この発電機は油がいるな。あ、ここに油の入ったドラム缶がある。つまり、自分で考えているわけです。自分の責任でやらにゃいかん。彼は私に「忍術でもいいのだぞ」と突っ放されていますから。各自に任せる自由さこそが、創造性を発揮させ意欲を掻き立てるのです。そこに責任感が生まれるのです。

創造性を育てる
アイディアとか、提案が出された時に、育てもしない先に評価してはならないということです。アイディアが優れていればいるほど反対者が多い。アイディアの効果が大きければ大きいほど反対者が多くなる。百人いたら九十九人は反対者です。「そんなもの、いかん!そんなもの考え出すヤツは、どうせ馬鹿に決まっている」といいます。アイディアや提案をモノにする為には、その途中の育て役というものが重要になってきます。その育て役は、アイディアや提案の内容を詳しく知っている必要はない。なまじっか知っていると自分も批判したくなってきます。それよりも、内容は知らなくていいから、ともかく、発案者に対して大勢の人が、くさしたり反対したりしている時に「馬鹿、何を言うか、黙れ!」と言って叱り飛ばすことが出来るくらいの大物であって欲しいのです。親心というのは後輩の創造性を育ててやれる人のことです。

「育てる心」を持つ秘訣は、相手のアイディアの内容をろくすっぽ聞かない先に「ああ、そりゃあ良い考えだ!」と言うことです。それは褒めているのとは違います。「良い考えだ!」と言った手前、自分が「反対者」になることを妨げ、どうしても育てにゃいけないようになってきます。自分自身に切迫感を感じさせる一つの方法なのです。

明治43年(1910年)に、南極探検を発想した白瀬中尉は、当時の技術力、交通、生活環境から見て、大多数の人たちから反対され、馬鹿扱いされました。そのとき、たった一人の「大物」だけが、「そりゃあ良い考えだ!」と乗ってきて、あの南極探検の偉業は達成されたのです。その「大物」は政治家で、早稲田大学の創立者でもある大隈重信でした。

白瀬中尉の南極探検に乗り気を起こし、実現に努力した大隈公は、白瀬中尉の出発の時に、「南極は暑いから体に気をつけろ。南洋さえあれほど暑いのだから、もっと南の南極はよほど暑かろう」と言ったそうです。「大物」は、こまかい点については、むしろ無知の方が良い場合が多いのです。ただ「そりゃあ良い考えだ」の精神が、「大物」の真髄と言えるでしょう。提案の場合にも、そのアイディアが奇抜であればあるほど、反対され、発案者は疎外されることがしばしばあります。もし、その時「大物」がいて「育てる」ことをしなければ、その人は二度と提案しなくなるでしょう。提案者は育てる努力をしてくれる上司の一挙一動を真剣に見つめているのです。

勇気は自信に先行する
創造性とは新しいこと、革命的なことをやることです。したがって、それを実行した場合、失敗するかもしれないし、途中で思いもよらぬ出来事が起こって、危険に瀕することもあるかもしれないのです。そして、これを敢えてやるという気構えが「勇気」であります。勇気とは、思い切って決行する気迫です。

まず、それをやれるという「自信」というものがないと「勇気」が出てこないものです。しかし、初めてのしかも未来のことですから、何がそこにあり、何が起こるかということは、なかなかわかりません。その不安は心配すればするほど深くなって、次から次へと不安を呼び、恐ろしさが増してきます。

したがって、その問題の困難性を見通すには、一応の情報をもとにして、直感的に見定めるしか、仕方がないのです。これが、いわゆる「カン」というものです。「自信」というものは、あくまでも主観的なものであって、「自分が出来ると信じる」というだけのことです。他人からはそれはうぬぼれだ言われても止むを得ないことで、気にする必要はないのです。

ともかく、「やってみろ!失敗しても俺が責任を持つ、安心してやれ!」というようにすれば、必ず道が開けます。「成せば成るのである」ということは、暴言でも無茶でもないのです。自信がないからやめておこう、というのは勇気がないとしか言いようがありません。「勇気」は「自信」に先行する。それを私は強調したいのです。「これか、あれか」というような場合には、「これも、あれも」採ることにしている。二者を採ればその間に競争原理が働き、その競争原理を利用すれば力が倍になって成功への確率が高くなる。

その他の名言集

いかに困難で不可能に見えても、勇気を持ち続け、粘り強く望みを捨てないことです。すると突然パッと目の前が明るくなって、成功の見通しが付くものです。困難と不可能とは、まったく違うことです。幸運と不幸とは、いつも同じ程度に現れるものですから、それだったら楽観的に根気良く幸運の来るのを待ちましょう。

新しいものを作り出すためには、非常識にならなければいけないのです。

人は信頼すればそれに応えてくれるものです。

何事も人に任せてやらせてみる、ということは非常に大切なことです。

とにかくやってみなはれ。やる前から駄目だと諦める奴は、一番つまらん人間だ!一番大事なのは、まずやってみる勇気なのだ!失敗したら、またやり直せばいい…。

新しいことをやろうと決心する前に、こまごまと調査すればするほどやめておいたほうがいいという結果が出る。石橋を叩いて安全を確認してから決心しようと思ったら、おそらく永久に石橋は渡れまい。やると決めて、どうしたらできるかを調査せよ。西堀栄三郎(南極観測隊隊長)

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