神渡 良平

- 宇宙の響き 中村天風の世界 -

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掲載の本

宇宙の響き -中村天風の世界- 致知出版社

著者紹介

1948年生まれ。九州大学医学部中退。取材国が六十数カ国に及ぶ国際派で、緻密な取材と深い教養に裏打ちされた鋭い人物論には定評がある。38歳のとき脳梗塞で倒れ一時は半身不随となったが、必死のリハビリで再起。この闘病生活中に、「人生はたった一回しかないこと、またどんな人にもなすべき使命があってこの地上に送られていることを痛感する。そしてかけがえのない人生を取りこぼさないためには、自分の経験の範囲内で考えることではなく、先人たちが掴んだ人生の知恵を活用すべきことに気づく。こうして闘病中に起草した『安岡正篤の世界』がベストセラーに。以後、次々にベストセラーをうみ出し、講演や執筆に大多忙となる。

日本文藝家協会会員。著書に『安岡正篤の世界』『人生の師父安岡正篤』『安岡正篤の人間学』『太平洋の架け橋 新渡戸稲造』『はだしの聖者』『立命の研究』『中村天風 生きる心得』『一隅を照らす人生』、『マザー・テレサへの旅路』などがある。

本の概要

私は中村天風先生の思想が大好きです。どれだけ勇気付けられたことか…ただ、本書の中に『宇宙霊』とかちょっと理解しがたい言葉も出てきますが、本書の後半で色んな偉人の言葉を抜粋しながら現代人にもわかりやすく解説しています(このページでは割愛しています)。天風先生の生涯と思想を書いた本なのですが、この扉では、師であるカリアッパと天風先生の言葉をメインに紹介させていただきます。著者の神渡良平氏は実際に天風先生が修行を積んだといわれる土地(ヒマラヤの麓)に出向き、そこで自ら感じた感覚を伝えています。単なる思想だけの解説にとどまらず、実体験をともなった内容だけあって、読む者を魅了いたします。天風先生の本質に迫った良書だと思い、紹介させていただくことに致しました。

人間なら誰でも生まれつき持っている「幸せに生きる」根源の力を引出し、国民的英雄であった東郷平八郎をして「哲人」と言わせた希代の思想家。その波瀾に満ちた半生から得た「人生成功哲学」の素晴らしさに総理大臣原敬、山本五十六、名横綱双葉山、儒学者の杉浦重剛、ロックフェラー三世、浅野セメント創業者浅野宗一郎、後藤新平、作家の大佛次郎、宇野千代、人間国宝松田権六、松下幸之助、稲盛和夫などなど。戦前戦後を通じ時代のそうそうたるリーダーたちが生涯の師として心服。その天風哲学とは?「人生あまりむずかしく考えなさんな!」 「暗かったら窓をあけろ、光がさしてくる」

はじめに

中村天風先生は既に二十六年前に帰霊され、すでに過去の人になっているのに、いままたなぜ脚光を浴びているのだろうか?

力の誦句
私は力だ。力の結晶だ。何ものにも打ち克つ力の結晶だ。だから、何ものにも負けないのだ。病気にも、運命にも、否、あらゆる全てのものに打ち克つ力だ。そうだ、強い、強い、力の結晶だ。

天風、発病!死の宣告を受ける

中村天風30歳、思いがけない災難が降りかかった。結核にかかり死を宣告されたのだ。ここから三郎(天風)の遍歴が始まった。座して死を待つより何とか活路を開こうと、世界の名医を訪れたが結果は落胆するものだった。その中で特記すべきことがあった。これは心身統一道を宣布した天風先生を想起させるエピソードである。

「この本をお読みになったら」ある日、サラ・ベルーナが一冊の本を手渡した。見ると、カントの伝記である。「きっと今のあなたに共感するものがあるはずだわ」三郎(天風)は、読み始めると瞬く間に引き込まれていった。

少年カントには悩みがあった。生まれつき体が弱く、身長は一メートル五十二センチしかなく、背中はせむしのように曲がり、いつもゼイゼイと喘息のような苦しい息づかいをしていた。カントが十七歳になったある日、年に二、三回、田舎を回ってくる巡回医師にこう言われたのだ。

「体はなるほど、気の毒だが、心の方には異常はない。辛い、苦しいといっても、良くなるものでもない。むしろそう言えばいうほど、両親は心配し、君も辛くなるだけだ。それよりも、心が健康であることを喜びなさい。これからは病気であることを忘れて、ひたすら興味のある学問に打ち込みなさい」 これまでのカントは出生を恨み、不健康な体を呪い、病のみであることを悔やんでいた。しかし、このアドバイスが契機になって、ケーニヒスベルグ大学に入り、研究に打ち込んだ結果、とうとうヨーロッパの合理主義とイギリスの経験主義を統合した批判哲学を樹立し、近世における最も重要な思想家といわれるようになった。カントは八十一歳で亡くなるのだが、その時、次のように言ったという。「身に病があってもそれを乗り越え、長年にわたって研究を続けることを可能にした自分の心の強さに感謝する」

心が主体である

師のカリアッパが結核で生きも絶え絶えの中村天風、修行時代に伝えた言葉。

お前は喜ばなければならないことが一つある。そう、感謝しなければならないこと。それは、生きていることだよ。まだ死なずに生きているということだよ。熱があろうと、血を吐こうと、まだ生きている。命まで取られていないんだ。同じ病気の者はもうとっくに死んでいるというのに、お前はまだ生かされている。気づきさえすれば、再出発できる。これほど大きい恵があるか!造物主はまだ慈悲がある。病だとか不運だとかは、お前の生き方が間違っているぞ、目を覚ませと警告する為なんだ。お前に自ら悟らせようとするから、じっと我慢してるんだ。お前がまだ生かされているということはそういうことなんだよ。

対象に意識を集中すると、一切が消え、ただそれだけが残る。耳を聾するような滝の音も今はまったく苦にならない。滝の音が聞こえながら、セキレイ(鳥)の声も聞こえている。病もそうだ。熱が上がったの、咳が出るの、血痰を吐いたのといっていたら、どうしてもそれに気持ちが引きずられてしまって、病気を気にしてしまう。そうではなく、自分のやるべき事や、建設的で創造的なことに集中すれば、病気に関わっている時間すらなくなる。「病気は忘れるに限る!」とはこのことである。自分の気持ちをマイナス的なことの上に留めておいてはいけない。肉体の病は肉体のことにして、心まで虜になるな。心が主体なんだ。人生は使命を成就するためにあるんだ。

お前の人生の目的は何か?

カリアッパ師は突然、三郎(天風35歳のその当時は三郎と言う名前だった)に尋ねた。「お前、病が治ったらどうするのか?」「病が治ったらどうするって?」「そう、病気が治ったらどうするか、決めているのか?」「…」正直言って、三郎はただ治りたい、苦痛から逃れたい一心で、治ったらどうするかは考えていなかった。虚をつかれた感じで、恐る恐る、「まだ考えていません」と答えると、カリアッパ師はあごひげをいじりながら、そうだろうな、とつぶやいた。

「道を歩いている人に、どこへ行くんですか?と聞いた時、『わからない。足に聞いてくれ。ただ右と左の足を交互に動かしているだけなんだ』と答えたら、お前はどう思う。行き先もハッキリしないで、よくも歩いているなと思うんじゃないか。お前もそれと同じだ。よくも人生の目的を考えずに、日々暮らしているもんだな」そう言われると三郎は、顔から火が吹くほど恥ずかしかった。

カリアッパ師は遠くの空の彼方を見つめ、誰に言うともなく、つぶやいた。「お前には人生観らしいものが何もない。その場、その場を生きているだけだと言われても返す言葉もない。アメリカで医学とやらを勉強したらしいが、逆にその知識が災いして、ちょっと咳をしても恐れ、不衛生だといっては神経をすり減らし、オドオドばかりしてる。枝葉末節の学問ばかりして、一番肝心の、『私は何をするために、この世に生まれてきたのか!』ということを考えていない。「本末転倒もいいところだ!それだったら、死でも仕方がないな。そこから立て直さなければダメだな!」カリアッパ師は言った。「何をするためにお前は遣わされてきたのだ!そのことを考えたことはあるのか!

思考が人生の一切を創る

人間の心で行う思考は、人生の一切を創る!これが数十年かかって考えて、苦心の末、ようやく悟った人間の生命に絡まる宇宙の真理だった。だから、どんな場合でも、消極的な方向から、物事を思ったり、考えたりしてはいけないのである。

人間と宇宙霊の絶対関係を揺るぎないものにすれば、宇宙エネルギーの受入量が多くなり、人間は期せずして、生命の強さを自由に獲得することが出来る。これはただ単に肉体が生きる力のみではない。このような理解が深くなれば、思考作用の運用方法がどれだけ素晴らしいものであるかがわかると同時に、宇宙霊の創作作用と人間の思考作用とが決して別々なものではなく、むしろ本質的に一つのものであるということが必ず明らかになってくる。

言葉には人生を左右する力がある

ところで我々は、試行の結果として言葉を発する。言葉はいわば我々の決意表明である。思考ですら人生を形成するのであるから、それが結晶化した言葉はより強い顕現力を秘めていることになる。すなわち言葉は人生を左右する力がある。この自覚こそ、人生を勝利に導く最良の武器である。

いやしくも人を傷つける言葉、勇気を挫くような言葉、あるいは人を失望させるような言葉、憎しみ、悲しみ、妬みの言葉を遠慮なく言っている人間は、悪魔の加勢をしているようなものだ。そういう人間は自己の運命を破壊していることを、平気でしゃべっているのだ。

我が舌に悪を語らせまい。今後私は、自分の境遇や仕事を、消極的な言葉や悲観的な言葉で非難するような言葉は使うまい。人々の心に勇気を与える言葉、喜びを与える言葉を使うように心がけることである。天風先生は言葉の持つ威力を真に知っていたのだ。天風先生の悟りは、「人間は受信体であると同時に、発信体でもある」というものであった。常に言葉に慎重な注意を払い、いかなる時にも、積極以外の言葉を使わぬように心がけることである。

「今日の具合はどうだい?」「気分が優れません。咳き込むんです」「それを言って楽しいか?」「私はその日の具合を答えているだけです。具合が悪いんだから仕方がないでしょう」「そう答えて、お前は気持ちいいか?」「よかぁないですよ。でも、真実そうですから」「お前は自分が使っている言葉によって、自分の気持ちが駄目になったり、鼓舞されたりすることは考えないのか?造物主は人間にだけ言葉を与えておられるが、言葉が潜在意識に及ぼす影響は大きいということを知らなきゃいけない。今日は熱があって不快ですと答えた時、それは潜在意識に影響を及ぼしているんだ。その状態がもう病に負けた姿なんだ」

世の中は本質的に楽しい

人間の心が病や運命をちっとも気にしないという積極的状態にあれば、宇宙に隈なく遍満存在している幽玄微妙な(気)の持つエネルギーを受け入れる分量が多くなる。心が肉体や感覚や本能に縛られて狭く消極的なものになると、(気)の持つ尊いエネルギーを受け入れられなくなり、生命力が萎えていく。人生を豊かに過ごしていく鍵は、宇宙霊との絶対的絆をゆるがせにしないことだ。これこそが、天風哲学の根本である。この世の中は苦しいものでも悩ましいものでもない。この世の中は本質的に、楽しい、嬉しい、調和した美しい世界なのである。

人生は我々が見ている世界そのものによって決まるのではなく、自分がどのように世界を見ているかでもって決まるのだ。昔から、自分の想念が自分の人生を形作ると言われているじゃろう。あの通りなんだ。自分こそが自分の人生の実現者なのじゃよ。だからな、自分の精神レベルを高め、想念の力を増すことは、人生の主人公になれるかどうかの問題なのじゃよ。

真理は書物の中に解説されているのではなく、自分自身の内にある。我が生命は大宇宙の生命と通じている。それが人間存在の本質なのだ。感謝しなきゃ、感謝しなきゃ。人生を与えられたことを感謝しなきゃ。

心を積極にする 心は宇宙とのパイプ役

病に陥っている時なんか、「なにくそ!そんな病に負けてたまるか」と考えればいいんだけど、考えられないのはなぜだろう?赤提灯で何本も銚子をひっくり返して、「これが悲観せずにいられるか!」とくだをまいている奴もいる。さぁ、そんな時どうしたらいいんだ。取り越し苦労するのが人間の悪い癖だ。心配や悲観する癖がつくと、物事を悪い方に考えてしまう。

結論から先に言えば、いつの間にか消極的になっているのは、大宇宙の大根大本、つまり森羅万象一切の根源である造り主と自分の関係が切れているからなんだ。何回も言っている通り、この大宇宙には精気というものが偏在している。だから、普段から生命の根源とのパイプを太くし、プラスの精気をいただかなくっちゃあ。自分の人生だもの。人生を虚しく終わりたくなければ、我々の生命の根源である宇宙の(気)を活用して、自分の生命を力強くすることを考えなくっちゃ。

積極的なことを考えれば、プラスの気が入ってくるし、消極的なことを考えれば、マイナスの気が入ってくるんだ。どんな場合でも、心を曇らせてはいけない。凡人といえども、造物主と自分の結び目を堅固にしていけば、驚くべき優れた人間になるんだ。いいか、もう一度言うよ。造物主の幽玄霊妙な叡智を、諸君の心の中に導入しなさい。諸君の生命に無限の宇宙エネルギーをアタッチしなさい。そうすれば、諸君一人ひとりの健康も運命も幸福になる。

どんなことがあっても忘れてならないのは、心が宇宙の根源者の無限の力を自分の生命へ受け入れるパイプということだ。パイプに穴が開いていたら、そこから洩れてしまうだろ。だからパイプをしっかり保つってことが大事です。最高に充実した生き方をしたいと思ったら、どんな場合にも心の姿勢を積極的に保たねばなりません。それが宇宙の根源者をプラスの極としたら、自分が地上のマイナス極として、限りないエネルギーが注がれる秘訣です。そのことの理解が深まれば、人間の思考がどんなに素晴らしいものであるかがわかるはずです。『思考が人生の一切を創る』とは事実なんです。

晴れてよし曇りてもよし、富士の山

人生は受け止め方次第で変わるものです。はためにはマイナスに見えることであっても、全然構わない。起きてくることは必然でベストだと思っているから、小ざかしい人間の智恵であれこれ思い煩うことなく、ただ誠心誠意、自己のベストを尽くすだけだ。

人間が思ったり考えたりする思考が、良いにつけ、悪きにつけ、深刻であればあるほど、自分を作ってしまうのである。心が積極的であれば、積極的なものをひきつけるし、心が消極的であれば、消極的なものを引き付ける。それにもかかわらず、環境をやたらに呪い、運命をやたらに悲観することのみを毎日の日課にしている人が多くはないか。そういう人間は、例えどんなに金が出来ようが、どんなに境遇が良くなろうが本当の幸福は感じない。

造物主の力を自分の中に導き入れようと思ったら、何事にも感謝することだよ。自分に都合がよければ歓喜と感謝は素直に出せるが、一旦、形勢が悪くなり、不利に事が運んでも、なお、歓喜と感謝が出来るかどうか、そこに人間の修行が現れてくる。感謝と歓喜を心に抱くこと、これが人生を楽しくおおらかに渡っていけるコツだ。『天に棄物なし』、つまりどんなことも意味があって起こっている。自分の身に起きる現象はベストで必然なのだ、と受け入れることが出来た時、トラブルにも感謝できるようになる。

消極的な言葉を口にしない

絶対に消極的な意思表示をする言葉を口に出さない。参った、困った、助けてくれ、どうにもならない、苦しい、痛いなどというネガティブな言葉は、肉が裂けようと、骨が砂利のように砕けようが、万物の霊長としての威厳を持って使わない。人間は健康も運命も成功・不成功も全て心で思い描いたとおりになる。心が積極的だと生命全体が積極的に運営される。反対に消極的になると、全生命の力が消極的になる。心の力を強化していくと、どんなに否定的な状況があろうとそれに支配されなくなる。「人間何事も自分で考えたとおりになります。書けないと思うから書けないんであって、書けると信念すれば、必ず書けます。」

こんりんざい、神様、助けてとは絶対言わないことだ。神仏を頼ってしまう気持ちをどこかに持っていれば救われません。神仏は頼るべきものではなく、あがむべきもの、尊ぶべきもの。自分自身が神仏に成り切ることが大切だよ。

心の正しい用い方

① 物事をすべて前向きに考える
例え行動した結果、失敗に終わったとしても、悔いない。人間の智恵では推し量れないが、それが神の御心で善だと考える。そこには必ず学ぶべきことがあり、将来のためになる種がこぼれている。こう受け取ると、失敗してもくよくよしなくなる。

② 感謝を忘れない
最初はこちらから感謝すること。

③ 愚痴をこぼさない
愚痴っぽい人には、愚痴をこぼさずにはおらないようなことが起きやすい。自分が招いていることに気づかないから、人ばかり責める。人生には無駄はない。必要だから起きている。そう思うと愚痴は出ない。

人を恨むよりも、その人の幸せを祈ることだ。その人の幸せのために何かをしたいと祈ることだ。相手の行為は自分の心の反映である。心は天と自分をつなぐパイプだ。この結び目をしっかりしている限り、宇宙から無限のエネルギーが注ぎ込まれ、弱気になることはない。

想念の威力

思考の威力、想念の威力について、私たちはわかっているようで、、案外わかっていないかもしれません。今でこそ、京セラはビックビジネスに成長していますが、昔はそこいらにある中小企業と大差ありませんでした。そのリーダーの稲盛和夫会長には「想念の力」について、こんな経験があります。昭和44年ごろの話ですが、有名な話ですので皆様にご紹介いたします。

あるとき、稲盛社長(当時)は松下幸之助さんの講演を聞く機会がありました。幸之助さんは「ダム式経営」つまり、ダムを造って常に一定の水量があるような経営をすべきだと話されました。すると一人の経営者が立ち上がり、こんな質問を投げかけたのです。「話はよくわかりました。私もダム式経営のような余裕のある経営をやりたいものです。でも、いまは余裕がないのです。どうしたら余裕のある経営が出来るのか、教えてもらいたい!」

すると、幸之助氏はこう答えだのでした。「そんな方法は私も知りませんのや。知りませんけど、余裕がなけりゃいけない、と思わないけませんな

幸之助氏がどういう秘訣を漏らすかと聞き入っていただけに、会場から失笑が出ました。全然回答になっていない!という訳です。ところが、稲盛社長は強烈な印象を受けたといいます。「なるほど、幸之助さんは、『まず思わなかったら、そうはならない』と言っているんだ!『そうは思うけども、現実は厳しい』と思っていたら、自分の気持ちが既に実現を妨げている。幸之助さんはそのことを言おうとしていたのだ。やはり、この人はあるべき姿を心に描いて、それに一歩でも近づこうと努力されている。そういう一歩一歩の積み重ねによって、気がついた時には、他社より大きく水をあけられていたのだ」と。元々稲盛社長は、想念の威力は凄いものである!ということを知っていましたが、幸之助氏を通して再認識させられたのでした。

この「何事も、『思い』から始まる!」というメッセージに、稲盛和夫氏は、「身の震えるような感動と衝撃を受けた」と言います。経営とは、「思い」である!その「思い」を育て、高め、それを伝えていくこと。この事を、ここで発見した訳です。経営に余裕がないのは、自分が真剣に思わないからだと松下さんは言ったのでした。私はそれを聞いて、何事も『思い』から始まるということを、改めて学んだような気が致します。

最後に

最後に坂村真民先生の「本気」という詩をご紹介させていただきます。

本気になると世界が変わってくる。自分が変わってくる。変わってこなかったら、まだ本気なっていない証拠だ。本気な恋、本気な仕事。ああ、人間一度はこいつをつかまないことには。

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