人が猿と分かれた日

- 第8話 -

  1. HOME
  2. 生命の扉

はじめに

見渡す限り広大な大地が広がるアフリカ大陸。ここで私たち人類は生まれたと言われています。今、人口56億を超える人類の歴史は、ここから始まったのです。2本の足で立って歩く事、それは人間だけが持つ特徴なのです。人は森に住むサルから進化したと言われています。私たちの祖先は、ある時体をまっすぐに立てて2本の足で歩き始めました。アフリカの大地を踏みしめた第一歩、まさにその第一歩が、私たち人間を生んだのです。このページでは、いつ、どのようにして人間は動物と違う道を歩き始めたのか?その進化の謎に迫りたいと思います

人間と動物の大きな違いは?

ホモサピエンスと呼ばれる私達人間。私達は、他の動物と何処がどの様に違うので しょうか?普通、私達は人間の特徴として、優れた知性を持っているという事や、言葉や道具を使うという事、そして家族を持っている事などを思い浮かべます。しかし、実は、人間には他の動物とはまったく違う特徴があります。それはまっすぐに立って2本の足で歩くということです。

2本の足で歩く動物といえば恐竜がいました。史上最大の肉食恐竜、ティラノサウルスもそのひとつです。しかし、ティラノサウルスは、背骨がまっすぐ立っていません。後ろ足を支点に、まるで天秤のように、前後にバランスをとる事で姿勢を保っています。ところが、私達人間の歩き方は、背骨を地面からまっすぐに延ばして歩くというものです。

重力のない宇宙から地球に戻り最初の一歩を踏み出そうとした時、片足では体をうまく支える事が出来ません。普段は意識していませんが、この歩き方は実は、大変なことなのです。私達は、体中の筋肉を使ってバランスをとり、2本の足で歩く動きを微妙にコントロールしているのです。そして、この歩き方こそ人間しかないものなのです。人類は、アフリカで誕生したと言われています。しかし、いつ、どの様にして2本の足で歩き始めたのか?は、これまで謎に包まれてきました。 今回は、この謎に迫ってみたいと思います。

深い森の中でサル達の進化が始まる

6千5百万年前、1億年以上も地球上で繁栄を誇った恐竜の時代に終わりがやってきました。小惑星の衝突がもたらした地球環境の大激変。しかし、厳しい環境を乗り越え、生き残る事ができた小さな動物がいました。プルガトリウスです。最も古いサルの仲間です。鋭い爪を使って木の上に登り、果物や昆虫などを食べていました。このプルガトリウスのような生物から進化したのが、現在のサルだと考えられています。

恐竜絶滅以後の地球には、広大な熱帯雨林が世界中に広がっていました。サルたちの進化の舞台となったのは、この深い森の中でした。森の木の上の生活は、襲ってくる敵も少なく、豊富な果物に恵まれていました。この豊かで安全な森で、サルたちは次第に種類を増やしていきました。そして私達人類につながる祖先も、この森の中で生まれたと考えられています。

アフリカの赤道直下に広がる湖、ビクトリア瑚。ここに、ルシンガ島(ケニアという小さな島)があります。この島から人類の起源を探るための重要な手がかりが見つかりました。アフリカの各地で発掘を続けてきたメリー・リーキー博士は、この島の1千8百万年前の地層から小さな骨のかけらのようなものをいくつも発見しました。さらに、その下の土を掘ると、歯と顎の骨が出てきました。見つかったかけらを一つ一つつなぎ合わせてみると、それは、サルの頭蓋骨でした。プロコンスルと名付けられたこの化石は、私達人類につながるサルだったのです。メリー・リーキー博士によると、プロコンスルは、チンパンジー、ゴリラ、そして私達人間の祖先だと考えられます。非常に長い時間をかけて、次第に人間へと進化したのです。

人間の祖先、プロコンスル

その後、ルシンガ島からは足の骨や背骨などが次々と発見され、プロコンスルの全身の形が、次第に明らかになってきました。プロコンスルは、4本の足で、木の枝の上を歩いていたと考えられます。指は長く前足でも後ろ足でも、木の枝をしっかり掴む事ができました。

このプロコンスルの歯に、注目すべき特徴が見つかりました。奥歯の表面に、ふくらんでいる部分が五つあります。これは、チンパンジーなどの類人猿と私達人間だけが持つ特徴なのです。また、プロコンスルには、尻尾がない事も人間に近いサルだということを示しています。しかし、プロコンスルは、一日のほとんどの時間、豊かな森の木の上で暮らしていました。このプロコンスルからどの様にして、人類は生まれたのでしょうか?

サルと人を分ける最大の特徴は?人間は脳から先に進化した?

「人はサルから進化した。」今では常識のこの考えも、最初はとうてい受け入れ難い事でした。高い知性をもった人間が、サルのような動物から生まれるなどとは、とても信じられなかったからです。1859年、「種の起源」を書いたチャールズ・ダーウィンは、人はアフリカのサルから進化したと主張し、当時の学会に大論争を巻き起こしました。

しかし、ダーウィンも、どの様にして人類がサルから進化したのか?はっきりした道筋を示す事はできませんでした。もし、サルから人間が進化したというダーウィンの考えが正しければ、その進化の途中に、サルと人の中間にあたる生物が、かつていたはずです。

ダーウィンの支持者によって書かれたサルと人の中間の生物の想像図が残されています。想像上のこの生物には、「ピテカントロプス」という名前までが付けられました。ダーウィンの考えを信じ、このサルと人の中間の生物の化石を捜そうとする人達も現れました。そして、ダーウィンが進化論を発表してから30年後、インドネシアのジャワ島で人類の祖先と思われる化石が発見されました。「ピテカントロプス」という名前は、この化石に与えられました。後にジャワ原人と呼ばれるものです。さらに、北京郊外の就航殿からは、有名な北京原人が発見されました。しかし、ジャワ原人や北京原人は、頭蓋骨や歯の形などを見ると、サルと人間の中間というよりは、ずっと現代人に近いものでした。

当時の人類学者の多くは、サルと人を分ける最大の特徴は脳の大きさであり、サルと人類の中間の生物とは脳が大きいサルに違いないと考えていました。ちょうどその頃、当時の専門家たちの仮説を裏付ける化石が、イギリスで見つかりました。地元の化石愛好家によって発見されたこの化石は、発見された町の名前をとって「ピルトダウン人」と名付けられました。「ピルトダウン人」は、頑丈な顎を持ち、歯の形もサルに近い特徴を持っていました。しかし、脳は非常に大きく、現代人とほぼ同じ大きさでした。この化石は人類の祖先として、 すぐに多くの研究者に受け入れられました。

当時の人類学の権威、アーサー・キースは、脳の重さが750グラムを超えるかどうかが、サルと人の境界であると考えていました。この化石はその条件を満たし、多くの研究者が予想していた通り、サルから人間への進化の中で、最初に現れた特徴は、脳が大きくなる事だったと言うことを、はっきりと示していました。しかし、発見から40年以上もたってから、「ピルトダウン人」は、偽物だったことが判明しました。現代人の頭とオラウータンの顎をつなぎ合わせたものだったのです。人間は脳から先に進化したという考えの根拠は、もろくも崩れ去ってしまいました。

人が猿と別れた時、人の進化は足から始まった、アファール猿人

それから20年後、ダーウィンが人類誕生の地と考えたアフリカで、サルから人への進化の謎にせまる重要な発見がありました。エチオピアのハダール。ハダールとは現地の言葉で枯れた川という意味です。1年のほとんどの期間、雨がまったく降らない乾燥地帯です。ここで、アメリカとフランスの共同チームは、3年にわたって発掘を続けていました。

そして、ついに人類の化石の内で最も古いものの一つを発見したのです。ルーシーと名付けられたこの化石こそ、400万年前に登場したアファール猿人だったのです。アファール猿人の脳はおよそ400グラム、チンパンジーと変わりません。顎が頑丈な事や腕が長く足が短いことなど、サルに近い特徴を多く持っていました。しかし、アファール猿人は、2本の足で歩くという人間にしかない特徴も備えていたのです。

ニューヨーク州立大学のランドール・サスマン博士は、ルーシーに代表されるアファール猿人の歩き方がどの様なものだったのか?骨格の形から推測しています。サスマン博士は、アファール猿人の骨格を現代人やチンパンジーなどの骨格と詳細に比較しました。その結果、アファール猿人の体には、2本の足で歩いていたと考えられる点がいくつもあることがわかりました。中でも注目されたのは骨盤の形です。アファール猿人の骨盤は、内臓の重みを下から受け止めるように、横に大きく広がっています。一方、4本の足で歩くチンパンジーの骨盤は、幅が狭く縦に長い形をしています。

アファール猿人の骨盤は、それとは明らかに違い、現代人のものとよく似た形をしています。さらに、大腿骨は関節の形から推測すると、腰から膝に向かって内側に傾いて付いていたと考えられます。こうなっていると、膝から下は体の中心に近いところにくるため、片足で立っても体重を支えやすくなっています。これは、2本の足で歩く現代人と同じ行動で、4本の足で歩くサルには、まったく見られないものです。

R・サスマン博士:アファール猿人は、明らかに2本の足で歩いていました。しかし、アファール猿人の脳は、非常に小さくチンパンジー位の大きさしかなかったのです。脳が大きくなり知性が発達することは、人類の進化の中で最初に起こったことではありません。最初に起こったのは、2本の足で歩くことだったのです。アファール猿人は膝や腰は少し曲がっていますが、しっかりと2本の足で歩く事ができたとサスマン博士は考えています。アファール猿人の発見は、人がサルと別れた時、最初に現れた特徴は何かというダーウィン以来の謎に最終的な決着をつけるものだったのです。

4本足から2本足で歩けるようになるまでの謎?ミッシンググリーク

2本足で歩く人類は、おそくとも400万年以上前には誕生していたと言われています。ルーシーに代表されるアファール猿人は、身長1M余り体重30キロほどで、まだサルに近い特徴を持っていました。脳の大きさも、今のチンパンジーと同じ位だったのです。しかし、ちゃんと2本足で歩くことができました。

ところが、人類の祖先と言われるプロコンスルは、森の木の上を4本の足を使って渡り歩く小さな動物に過ぎませんでした。このプロコンスルを見ると、2本の足で歩けるようになるとはとても思えません。プロコンスルが登場したのは1800万年前、アファール猿人が登場したのは400万年前、その間は優に、1千万年以上あります。

そこにどのような進化の道筋があったのか?人類の起源を知る手がかりとなる化石は、ほとんど見つかっていません。この空白の時間はミッシングリークと呼ばれ、まったくの謎とされてきたのです。この空白の時間に一体何が起こったのでしょうか?その謎を説くヒントが、実は人類の祖先が生まれ育った森にあったのです。

人間はどのようにして2本足で歩くようになったのか?

どこまでも続く深い森。熱帯雨林は、動物の餌になる莫大な量の果物や花などを生み出す地球上でも他に例のない豊かな場所です。1800万年前のプロコンスルもアフリカの森の木の上で一年中絶えることのない果物を食べて暮らしていたはずです。このプロコンスルの子孫が、今も、同じアフリカの森で暮らしています。チンパンジーです。チンパンジーは、人間と99%まで遺伝子が同じだと言われる人間に最も近いサルです。

同じプロコンスルの子孫である人間とチンパンジーは、いわば兄弟のような関係にあるのです。人類の祖先もある時期までは、このチンパンジーと同じ様な生活をしていたはずです。人類はどの様にして、2本の足で歩くようになったのか?チンパンジーを手がかりに、その謎に迫ろうとしている研究者たちがいます。

ニューヨーク州立大学では、チンパンジーが運動する時の筋肉の使い方に注目しています。まず、チンパンジーを2本の足で歩かせた時、どの様な筋肉が使われているかを調べます。骨盤や大胎骨に付いている10種類以上の筋肉の動きを一つ一つ調べていきます。その結果、2本の足で歩く時には、腰の部分にある「中殿筋」と言う筋肉 がよく使われる事が分かりました。

この中殿筋は、2本の足でバランス良く歩くためには、欠かせない筋肉です。片足をあげた時、あげた足の方向に倒れようとする骨盤を反対側の中殿筋が引っ張りあげてバランスをとっています。こうして体が大きく左右に振れるのを防いでいるのです。チンパンジーが様々な行動をしているとき、この中殿筋の動きを調べます。チンパンジー が普通に4本の足で歩いているとき、中殿筋はほとんど使われていません。しかし、チンパンジーが、木の幹を垂直によじ登るときに、盛んに中殿筋を使うことが分かりました。

人間が2本の足でバランス良く歩くために欠かせない中殿筋。その同じ筋肉が、木の幹をよじ登る時に使われているのです。木の幹に前足で捕まりながら、後ろ足で体を上に押し上げる動き。足や腰の他の筋肉を調べてみても、この動きと人間が2本足で歩く時の動きには、多くの共通点がある事が分かりました。

実は、この木登りが、2本足で歩くための訓練になっていたのではないかと考えられるのです。また、チンパンジーのように体重の重いサルは、木の枝の上を歩くのではなく、枝からぶら下がることが多くなります。このとき背骨はまっすぐに伸びています。これもまた、まっすぐに立つための訓練になっていると考えられることです。どの様にして2本足で歩くようになったのか?その謎を説くのはそんなに難しいことではありません。私達はチンパンジーや他のサルを参考にして、2本足で歩き始めた人類の祖先の姿を想像することができます。それはたぶん、500万年以上前の森に住む体が大きくて木登りの上手いサルだったのではないでしょうか?

人間とチンパンジーはいつ頃別れたのか?

森の木の上を4本の足で歩いていたプロコンスルたち。その子孫の中には、次第に大型化するものも現れました。豊かな森で育った大型のサル、それが人類とチンパンジーの共通の祖先だったとサスマン博士は考えています。体重が重くなると、いったん地上 に降りて歩いて移動してから別の木の幹を登ったり、木の枝にぶら下がることが多くなりました。このような生活の中で、知らず知らずのうちに2本の足で歩くための準備が出来ていたのです。

人類とチンパンジーは、この段階までは同じ進化をたどってきたと、サスマン博士は考えています。しかし、人類とチンパンジーは、この後まったく別々の道を歩み始めたのです。人類とチンパンジーの運命を分けた出来事とは一体何だったのでしょうか?サスマン博士とは全く別の方法によって化石が見つからない空白の時代の謎に迫ろうとしている人達もいます。国立遺伝学研究所の宝来聡博士です。宝来博士が注目しているのは、遺伝子です。

共通の祖先から枝分かれした生物は、世代を重ねるごとに遺伝子が少しづつ違ってきます。この違いを詳しく調べることで、人間とチンパンジーがいつごろ別れたのかを知ることが出来るのです。宝来聡博士:人とチンパンジーが分離したのは、490万年前であると、そういうふうな推定値を得ました。その推定値は、全塩基配列に基づいていますので、誤差はわずか、20万年位で非常に小さなことです。ですから約500万年前に分離したと考えて差し支えないと考えています。

人間とチンパンジー、二つの運命を分けた出来事とは?

オランウータンやゴリラなどと別れた後も、ずっと同じ進化の道をたどってきた人間とチンパンジー。その二つの運命を分けた出来事は、およそ500万年前に起きていたのです。それは、アフリカの森を襲った大異変でした。アフリカ大陸では、既に1千万年以上の間、激しい地核変動が続いていました。あちこちで火山が火を吹き大陸の東側では、大地が1000M以上も押し上げられていました。アフリカ大陸を突き上げていたのは、地球の内部の巨大な力でした。

マントルからは高熱の塊が地球の表面に向かって上昇していきます。それが、偶然にもアフリカ大陸の真下で起こっていたのです。激しく長く続いた地核変動は、広大な森におおわれていたアフリカの大地を大きく変える事になりました。500万年前頃には、アフリカ大陸を南北に貫く険しい山脈が出現し始めていたのです。

ルーシーの発掘にも参加したフランスのイブ・コパンス博士は、アフリカを襲ったこの大きな地核変動が、人類とチンパンジーの運命を分ける原因になったのだと考えています。イブ・コパンス博士の説によると、チンパンジーと人類の共通の祖先は、アフリカに広がる森の中に住んでいました。しかし、南北に伸びる高く険しい山脈が出来たことによって、互いに行き来することが出来なくなってしまいました。チンパンジーと人類の共通の祖先は、この山脈という壁によって、東西に分断されてしまったのです。

森から草原への変化が人類とチンパンジーを分けた

アフリカ大陸を南北に貫く巨大な壁。この壁は人類とチンパンジーの共通の祖先を二つに分断しただけではなく、壁の東側の環境を次第に変えていきました。アフリカの広大な森林は、西から吹き込む湿った風がもたらす雨によって支えられていました。しかし、高い山脈が出来ることによって、その風がさえぎられ、山の東側では、雨量が減っていったのではないか?とコパンス博士は考えています。

熱帯雨林にとって、命の水ともいえる雨の量が減ってしまった山脈の東側では、森林が次第に消え、草原に変わっていきました。 広大な森林の木の上で豊かに実った果物を食べながら暮らしていた人類とチンパンジーの共通の祖先たち。しかし、山脈の東側では、もはや、それまで通りの生活を続けることは出来なくなりました。森から草原への変化、それが人類への進化をもたらしたとコパンス博士は考えています。

2本の足で歩き始めたアファール猿人ルーシーは、南北につらなる山脈の東側で発見されました。アファール猿人がどんな環境の中で暮らしていたのか?現在の光景から伺い知ることは出来ません。しかし、同じ地層の岩石の中には、当時の植物の花粉が含まれていました。フランス、マルセイユ大学の、レイ・ボンヌフィーユ博士は、この花粉を手がかりにアファール猿人が住んでいた環境を知ろうとしています。

岩石の中からは様々な樹木の花粉に混じって稲科の植物の花粉が大量に発見されました。稲科の植物は深い森の中にはほとんどなく、草原のような開けた場所に多い植物です。アファール猿人は、確かに鬱蒼とした森ではなく、疎らに木が生えた草原に住んでいたのです。イブ・コパンス博士:「山脈の東側では次第に森が消えていきました。草原の中に小さな森が点在する環境が生まれたのです。最初はまだ森が残っていたので、人類は木に登ったり地上を歩いたりしていました。そして、さらに乾燥化が進み、ほとんどの森が消えると、もはや木に登ることはせず、地上だけで生活するようになっていったのです。」

かつて、広大な森に住んでいた人類とチンパンジーの共通の祖先は、山脈によって隔たられ、東側では豊かな生活を支えてくれていた森が消えていったのです。 小さな森の中に取り残されてしまったものは、食べ物を食べ尽くしてしまえば、遠く離れた別の森に移動しなくてはなりませんでした。その時、彼らは、2本の足で歩き始めたのです。森の木の上の生活の中で知らず知らずのうちに、2本足で歩くための体が作られていたのです。住み慣れた森を離れ草原を目指した時、ついに、2本の足で歩く人類が誕生したのです。

アフリカで森が消えていなかったら人間は生まていなかったかも?

タンザニア、タンガニーカ湖のほとり、マハレ。ここは山脈の西、深い森が残っています。ここに人類と途中まで同じ進化の道をたどりながら、結局2本の足で歩くことがなかったサル、チンパンジーがいます。人類とチンパンジーの共通の祖先は、森の木の上の生活の中で、知らず知らずのうちに、2本の足で歩くための準備をしていました。しかし、山脈の西側では森が消えることはなく、2本の足で歩くチャンスはありませんでした。そして、木の上の生活を捨てずそのまま進化してきたのが、今のチンパンジーだとコパンス博士は考えています。

チンパンジーは2本の足で歩くための高い潜在的な能力を持ちながらも、結局それを発揮させる機会はなかったのです。もしも、アフリカで森が消えなかったら、私達は今でもその森の生活に適用し、元気に木登りをしているサルのままだったかも知れません!そして人間は生まれなかったかも知れないのです。人類は豊かな森が消えていった山脈の東側で、楽園を追われるかのように草原に出て、2本の足で歩き始めました。山脈の西側にいたサルと東側にいたサル、まったくの偶然が人類とチンパンジーの運命を分けたのです。

ここまでのまとめ

人類の祖先にとって森は、食べ物も豊富で外敵も少ない楽園であったに違いありません。しかし、その森が消えたからこそ人類が生まれたのです。しかも森は、図らずも、2本足で立つ訓練の場となっていました。その準備が整ったちょうどその時、アフリカを襲った環境の大激変で森が消えたのです。楽園で育ったという好運と森が消えたという偶然が人類を生んだのです。2本の足で歩き始めた人類は、まだサルの特徴を多くもっていました。しかし、2本の足で歩き始めたからこそ、今私達がもつ人間としての特徴を獲得していくのです。

草原の生活を脅かす肉食動物

森の中で進化してきた人類にとって、草原はまったく新しい環境でした。アファール猿人以後の人類は、この草原の生活に次第に適用していきました。しかし、森の中と違って身を隠す所のない草原には、危険が待ちかまえていました。恐ろしい肉食動物です。ヒョウは、捕まえた獲物を木の上に引きずりあげて食べる性質があります。こうして食べられた獲物の骨が、洞窟に落ちて化石になって残っている珍しい場所が南アフリカにあります。鹿やうさぎなど、餌食になった動物の骨が今でも洞窟の中から見つかります。

アファール猿人が現れてから、およそ200万年後の人類、ロブストス猿人の化石が同じ洞窟から発見されました。後頭部には二つの大きな穴が開いています。この穴は、当時のヒョウの下顎の牙と間隔がぴったり一致します。当時の人類もヒョウの餌食になっていたのです。

手を使い石器を作ったロブストス猿人

ロブストス猿人の脳の重さは、500グラム程度と推測されています。アファール猿人の頃からほとんど大きくなっていません。しかし、このロブストス猿人と同じ時代の地層からは、アファール猿人の頃にはなかったものが発見されています。それは石器です。人類が石器を作ることが可能になったのは、脳が大きくなり知性が発達した為だと普通は考えられています。

脳が小さかったロブストス猿人に石器を作ることが出来たのでしょうか?サスマン博士は、ロブストス猿人の脳ではなく手の構造に注目しています。手の構造の新しい進化が、石器を作り出すことを可能にしたのではないか?と言うのです。

ロブストス猿人の手の親指の骨に注目すると、全体的に太く、現代人のものと良く似ています。このことは親指の筋肉が発達していたことを示しています。親指と人差指の先で小さな物をつまみ上げるという、ふだん私達が何気なくしている動作は、このように、発達した親指を微妙に調節しながら動かすことによって、はじめて可能になる動作です。

まだ石器を作ることは出来なかったと考えられているアファール猿人の場合はどうでしょうか?全体的にほっそりとして現代人よりはチンパンジーに似ています。チンパンジーの親指は、他の指に比べて、極端に短くほっそりとしています。親指を動かす筋肉は、人間ほど発達していません。チンパンジーに親指と人差指の先で小さな物を摘ませてみます。しかし上手くいきません。アファール猿人も手の器用さは、チンパンジーとあまり変わらなかったと考えられます。

親指の骨が太くなり筋肉が発達することによって、ロブストス猿人は器用に手を使い石器を作ることが可能になっていったとサスマン博士は考えています。アファール猿人以後、人類は木の上の生活を完全に捨てて草原を2本の足で歩き始めました。それによって、それまでの前足は歩く為のものでも枝にぶら下がる為のものでもない、物をもって操るための手として進化することが可能になったのです。

直立歩行が言葉を話せる要因に、足や手の進化の後に脳が進化

草原の生活の中で人類は、さらに洗練された歩き方を身に付けていきました。器用な手を持つロブストス猿人から100万年ほど後のさらに進化した人類の化石が、ケニア北部の湖のほとりから発見されました。この頃の人類は、現代人とほぼ同じ様な姿勢で歩いていたと考えられています。アファール猿人が現れてから200万年以上経って、やっと現代人の直立2足歩行が完成したのです。

そして、体をまっすぐに立てる事によって画期的な進化が起こっていました。言葉を話すことが出来る喉の構造です。まだ少し前かがみになって歩いていたアファール猿人の喉は、声帯で作った音を反響させる喉の奥の部分が狭くなっています。これでは様々な音を出せず言葉を話すことはできません。しかし、体をまっすぐに立てると、音を反響させる空間が広くなります。言葉を話すことが出来る喉の構造は、体をまっすぐに立てることによってはじめて可能になったのです。

この頃の人類の脳の重さは、およそ900グラムと推定されています。現代人には及ばないもののアファール猿人の2倍に増えていました。私達と同じ現代人が現れるのは、それからさらに100万年以上後のことです。 人間の象徴とも言える大きな脳、それは足や手などが大きな進化を遂げ、体が完成した後で最後にもたらされたものだったのです。

全ては2本足で歩くことから始まった

R・サスマン博士:おそらく私達は、500万年前以上前には体中に毛が生えた木登りをするサル、チンパンジーのようなサルとあまり変わらなかったのです。違っていたのは、木を降りた時にチンパンジーが前足をついて歩いたのに対し、私達の祖先は2本の足で歩いたという事だけでした。しかし、この2本の足で歩き始めたという事が、今の人類へとつながる進化の扉を開ける鍵だったのです。

肉食動物に怯える事がなくなった人類

2本の足で歩き始めた事が、大きな脳を持つ事につながりました。 そして人類は、もはや肉食動物の陰におびえる存在ではなくなっていました。

フランス中部のソリュートレでは、2万年前の人類の生活をうかがわせる化石が発見されています。この崖の下の葡萄畑から1万頭にものぼる野生の馬の骨が発見されました。当時の人類が殺して食べた残害です。彼らは馬の群れを崖の下に追いつめ、槍などを使って一気に仕留めたと想像されています。

この頃には、器用な手を使って強力な武器を作り、言葉による会話でお互いの役割分担を正確に決めることが可能になっていました。組織的で大規模な狩りが行なわれていたのです。

かつて、草原でなす術もなく肉食動物に襲われていた人類は、強大な力を手に入れたのです。チンパンジー程度の脳しか持っていなかったアファール猿人。しかし、背骨で脳を下から支える構造をすでに持っていました。このことも、より大きな脳を持つことを可能にしていました。2本の足で歩き始めたアファール猿人から、400万年。ついに、大きな脳を持つ今の人類が生まれたのです。

草原への第一歩が人類へつながった

人類の起源についてはまだ多くの謎が残されています。しかし、はっきりしていることは、2本の足で歩き始めた後、様々な道具を使い優れた知性や言葉を持つという、まさに人間が生まれたのです。アフリカで生まれた人類は、2本の足で瞬く間に地球の隅々に広がり、他の動物たちを圧倒する今の繁栄を築きあげてきました。全ては豊かな森で育まれた人類の祖先が、未知の草原へと第一歩を踏み出したことから始まったのです。

私達人類の祖先が住んでいたアフリカの広大な森、それは、豊かな果物がたわわに実る安全な楽園でした。その森という楽園を離れるきっかけになったのは、地球の内部の巨大な力がもたらした環境の変化だったのです。今、世界中に広がる私達人類も、地球がもたらした、たった一つの偶然によって生まれたものなのかも知れません。

編集後記

サルと人類を大きく分けた要因は環境の変化と2本足出歩くという行為でした。歩くことにより大きな脳を持つ事が出たのです。人類への進化は、全ては歩くことから始まったと考えても過言では有りません。歩くという事は人間の基本なのかも知れません!「本の扉」の『脳内革命』を今一度お読みいただければ、その事が納得できると思います!脳の活性化、成人病の予防などなど健康には欠かせない行為なのです。二足歩行をすることで空いた手を使い、道具を生み出すことで、ヒトは他の哺乳類とまったく異なる道を歩み始めたのです。

生命の歴史の年譜(早わかり表)

  1. HOME
  2. 生命の扉